くろまめのをりをり10(2012年1月から)

 毎日のようにベランダから富士山を眺めています。  よく晴れた日は丹沢が見えます。  平成24年元日の写真にスカイツリーが写っていました。 さかのぼって見ると平成22年の写真に建造中の短いスカイツリーが写っていました。  太陽が少しずつ移動してゆくのを見ていると今日の日を残しておきたくなります。
 

  金環日食 観察  (2012年5月21日)

   今朝6時半頃私は寝ていた。足の先がひんやりしてきて目覚めた。    夫のそらまめが窓を大きく開けて東の空に向けて三脚を立てているからだった。  (↓三脚立ててOK)   (↓レスキューシートを通して観る)    私は南側の達子さんの部屋をノックした。  「晴れたの?」ってパジャマで現れた。  「曇っているけれど見えるわよ〜」 (↓達子さん90歳の好奇心)   (↓金環撮影成功!)    私たち三人は欠けていくところから輪になったところまで観ることができた。   ケイタイでレスキューシートから見える金環を撮ったが不鮮明だった。  そらまめの撮った写真はよく撮れていた。カメラの性能も良いが三脚を立てたことが良かった。  もう少しで太陽がマンションの屋根に隠れそうになったところで金の輪の幅がきれいにそろった。  「達子さん、達子さん、見えますか?」  「あ〜見えた見えたわよ〜」  ケイタイで撮った家族の様子はなかなか面白い。

  ひよこまめちゃん  (2012年5月18日)

   首が座った。寝返りの自主トレーニングが日課になった。おもちゃで遊ぶ。  ママやパパが声をかけると笑顔で返す。 声に声で返す。  ママが食事の用意をしていると関心を持って見ている。  ママがミルクを調乳しているところをじーっと見ていたりする。    五ヶ月児対象の離乳食講習会に一緒に行った。  同月齢の赤ちゃんたちのなんと可愛いこと!  みんながコロコロムチムチ。   ママたち同士のコミュニケーションもなかなか。  調理実習室で、かくはんしたり、すったり、茹でたり、蒸したり、漉したり。  ラップを利用して、つぶしたり、叩いたり、混ぜたり。  市販のベビーフードを使ったり、大人の食事の材料を加工したり。  私は懐かしさを感じながらママたちの後ろから講師の手元を見ていた。    「割と簡単に出来るわね」  「母乳を少ししかあげれなかったので手作りをして食べさせたいわ」。    体重身長を測って解散。      車の窓を少し開けて新緑の風を入れた。  ひよこまめちゃんは目を細めて流れる景色を追っていた。      

  帰宅 (2012年5月14日)

 5月13日、宮崎駅から11時間半の電車の旅が終わった。  両親に無事に帰り着いたことを伝えたのが10時過ぎ。  もっと早くに着いていたのだが、母の日の赤ワインが利いたのか? うとうとしてしまった。    夫のそらまめと義母の達子さんが玄関で私を笑顔で迎えてくれたとき、緩んだ。  「三人揃ったね」と達子さん。  「おつかれさま!」とそらまめ。  お隣の畑の方から頂いたという筍をそれは美味しく煮ていてくれた。  ハーブを使っての肉料理。  「母の日おめでとう〜」と三人で乾杯した。  そして、今朝から掃除ばかりしていた(笑)。  洗濯も楽しい。    宮崎での滞在記をリアルタイムにケイタイで送っていたが、受けてアップしてくれていたそらまめの  苦労に対しても改めてありがとう。  「をりをり」を読んでいたら、訂正、加筆、写真も追加したくなった。  とにかく伝えることに一生懸命で(笑)。  間違いも多々あった。  で〜〜  直しました〜〜〜。    今一度 宮崎と銀鏡ばみてくれんね。

  帰路車窓より (2012年5月13日)

 滞在中は晴天続きだったが今朝は白い空だ。  8時6分特急にちりん6号に乗る。    宮崎弁が飛びかっている。優しい響きだ。右手に穏やかな高鍋の浜が見えてくる。  日曜日とあってか?外はとても静か・・・・・・なにもかも小型に見える。  山肌は湿気を帯びて深緑に見える。  帰路はどこか寂しさを拭えない。  大分まで少し眠ろう。 ****************************************  目覚めると延岡から満席になっていた。  トンネル、またまたトンネルだ。そのちょっとの隙間から幾分か明るくなった空が見える。  コデマリの花が今日の空によく似合う。  津久見−臼杵を通過。 海側から左手山を見るとシイの花(花穂のことをコウジと呼んでいる)がびっしり咲いている。 今回の帰省で母から聞いたことだが、シイの実はイノシシの大好物なのだそうだ。 (しばらくは畑を荒らされることはないだろ) それんしても今年はすごいもんじゃと父も縁側に立って興奮気味に云った。 ここ大分でも先祖代々の土地に住み続けている人たちの間で同じような会話がなされていることだろう。    −間もなく鶴崎だ−。 *************************************** 大分からソニック号に乗り換えて小倉まで。 別府で車内販売のお弁当「かしわめし」とお茶を買う。 宇佐までシイノの花穂(鏡鏡では花穂のことを麹に似ていることからコウジと呼ん でいる)をずいぶん近くに見ることができた。 中津から大分平野がひろがる。畑中で煙りが立上っている光景はまさに日本の原風景。 しかしケイタイの充電危うし。撮りためておいた写真を自宅に送信した。 小倉で新幹線のぞみ32号に乗り換える時、のぞみを撮ろうとしたが完全に充電切れしていた。 座席で充電をしながら続きを書いて(打って)いる。車内を撮ろうとしたら画面が真っ黒になり撮影できない。 原因不明。充電不足か??? ***************************************  撮れました〜〜 おっちょこちょいでした。 私は充電器に入れたまま撮ろうとしていた。 自分のオバカぶりにひとり笑い転げた。  コーヒーを飲もう。 *************************************** のぞみ号の乗客はお眠りか?現在3時半過ぎ。静かだ。 食べている人たちは音を立てないように気づかっているようだ。ビニール袋の音が微かに聞こえる。 赤ちゃんのおもちゃにビニール袋がある。これはおもちゃとしてかわいらしいデザインになっている。 赤ちゃんがグズグズしているときに、耳元でカシャカシャと音を立てるとご機嫌になるのだそうだ。 それで孫のひよこまめちゃんにやってみたら効果があったことはあった。子宮のなかで聞いていたのかな? 名古屋でミックスサンドイッチいただいた。次は新横浜。  還暦同窓会に出席して良かったと思う。  時間が過ぎるに連れて思い出すことだろう。  名前は忘れても風景が残るような気がしている。

  今日も晴れ (2012年5月12日)

 さあ!今日は鏡鏡の最後の日だ。早くに目が覚めた。 6時過ぎ「ホーィ」「ホーィ」声が聞こえた。宮崎からお魚やさんがやってきた合図とは(笑)。 山では、鼻から頭の先に抜けるように声を出すと遠くまで届くのだそうだ。 朝食の後は昨日に続いて台所の整理整頓。要不要に仕分ける。要のモノを移動。物おきを整理してから移動。 お箸、お皿(各種)、ふた付きの塗りおわん、お茶碗、お湯のみ、急須、グラス、お猪口、お膳、ふきん、 ボール、ザル、カゴなどなど。50名から100名くらいの集まりごとに対応できるように揃えている。 「最低50客分は揃えておかんと不便じゃもんね」。 味噌甕(自家製麦味噌)大きな樽は麦入れ。升、五升炊ガスコンロ、父のエアロバイクも仕舞うことに。    ゆったり食事が出来るようになった。 母がスズランとスイセンの球根を土産に持たせてくれた。  土が乾いいてから葉の部分を切った(手前がスイセン)。  午後4時半出発! 宮崎の兄宅へ  父よ母よ元気にしちょってね〜  山よさようなら〜〜

  朝だお昼だ (2012年5月11日)

お味噌汁の具を畑に探すところから朝が始まった。サラダにも菜っぱを摘む。 にぎやかに話ししながらの朝食は今日で4日目になる。 塩鯖の焼いたにおいがちょっと苦手な私は梅干しの種を舌の上で転がした。 父83歳、母81歳。元気だ。 兄は草刈りに。 今日の予定は、台所とその周辺の片付け。 村では地区別に持ち回りで宿になる記念行事があったが老齢化で来年からは公民館でまとめて行うことになったそうだ。 我が家でも50客分の道具を使うことは無くなった。限界集落の行事は形を変えて引き継がれている。 時間が惜しいと思えてならない一日だった。

  開墾 =茶の木を燃やし、石拾いをし、草を抜き、初操縦をして。 (2012年5月10日)

 庭の前のこの畑は元は茶園だった。2年ほどそのままにして茶の木が枯れるのを待っていた。    横倒しして燃やして根っこを抜いて、それでもそれでも時間が掛かったそうだ。  母はお花が大好きで、接木も得意で、育てるのが名人だ。  自分で耕した場所にヒマワリ(三種類)、コスモスなどを植えていた。  この日はJAでいただいたコスモスの種を蒔いていた。   兄は芋(大和芋・自然薯・アピオス)の手を立てている。母は洗濯しながら畑で作業。父はゆったり新聞読み。 この対比を私たち子供は毎度笑ってしまう。     残りの耕していないところを始めよう〜 茶の木の枯れ木や雑草を焼く。 大きな石だ。深く掘ると岩盤にあたる。   ミニ耕運機のしくみについてのレクチャー = 父も母も興味津々。   二人の好奇心に感動! 父も上手かったが母はもっと上手だった。       きれいになった。(達成感)   作業を終えて、家の裏に蕗取りに。 「足らんわあ」とすごい量を取る母。。 兄と一緒に作ったときの要領で。(私流は、板ズリも水に晒すも省略なのだが)

  ケサエさんの畑 (2012年5月9日)

 本日も晴天なり。  なにやら発動機の音が気になり外に出てみたら兄が畑に水を撒いていた。  タンクに雨水を貯めているのだそうだ。     家の周りを歩いていたら母が出て来て庭木や花を挿し木で育てていることなどを話してくれた。  「あとで見てみるね?」と言い、菜を摘んで家に入った。      食べる前に手作り窯入り茶の飲み比べをした。 写真左、山村留学生のお母様が里親のお宅で摘んだもの。右、兄の手作り。    どちらにも軍配が上がった。  食後は母と庭を散歩。  私が子育て始めの頃に着ていた防寒コートが干されていた。  春先の畑で作業するときに着ているのだそうだ。  「畑に下りるときには足元に用心してねー」  「ロープがあるから大丈夫よー」  「命綱だね」と私。     接木や挿し木から花や実が。飛んできた種からメタセコイアが。  先祖代々のお墓の周辺にツツジ、サルスベリ、フヨウ、ツバキ、スイセン、キンカンも。  家の周りにサルスベリ、ムクゲ、キヨウチクトウ、キンモクセイ、ギンモクセイ、コスモス、  スズラン、イロハ紅葉、楓、山ツツジ、バラ、ナンテン、アヤメ、フヨウ、ハナモモ、ライラック、  イチジク、ブルーベリー、ザクロ、ビワ、カキ、キュウイフルーツ、ブンゴオオウメ、種無し金柑などなど。  残飯を捨てたいというので一緒に畑に下りた。畑に居る時の母はとても若く見える。   「スイセンとスズランの球根を持って帰らんね?」  千葉で育てたいと思った。  兄が出てきて烏帽子岳が見えると言うのでその場所に連れて行ってもらった。  枇杷の大樹の辺りからでも見えたが、この場所からはとても姿が良い。  家の前の川は昔石飛をして遊んでいた。兄は中間達とウナギを捕っていた。  その頃は大きな石があったのだが・・・ ・・・。  午後からは、残りの障子貼りを完了。  明日は、裏山の蕗を摘んで煮付けよう。いよいよ畑の手伝いだ。

  障子を貼る (2012年5月8日)

 8時20分、朝日を観る。    小中学校の校歌の歌詞が浮かぶ。  水蒸気が靄っている。深呼吸をして庭から畑(茶園だったところ)を見る。    本日は障子貼りだ。全部で23枚。  前の川で洗うのかなあと思っていたが、「庭でええちゃが」と母。  
   簡単には剥がれない。  8年前に従来のやり方で貼ったのだそうだ。  今回は一枚のシートになっている障子紙を使うことにした。  糊を剥がす液体が付いている。糊も付いている。だから簡単に思っていた。  糊剥がしに時間がかかったのは昨日の気温のせいかも知れない。軍手を使って障子の桟を拭いた。  後片付けを母がしてくれた。    障子を元の位置に戻してから、お昼ご飯。そして休憩。  骨になった障子から山が見える。  あ! 休憩に時間をとってしまった〜〜  畳の上に糊が付かないように新聞紙を敷く。その上に乾いた障子を寝かせて貼る。      「昔はお盆の頃に、障子貼りをしたっちゃが」  「実家じゃ〜川に浸けとったちゃが。上から石を乗せておけば、綺麗になったとよー」  父のお嫁さんになるうんと前の話し。聞けて良かった。

  ピザとシイのコウジ (2012年5月7日)

 今日も晴れ。  姪っ子を職場に送る。跳ねながら「うんじょ〜るの」の扉に消えて行った。  レストランがオープンする時間にみんなで行ってピザを注文した。    私たちはとうとう写真を撮るのを忘れてしまった。    午後から鏡鏡へ上がる。 (銀鏡の人達は町からアガル。町に下る(クダル)と言う)    木々の白く見えるのは、シイの花穂。銀鏡の人達はコウジと呼んでいる。  鏡鏡の子供たちはシイの実を炒って食べていたものだった。

  綾町 「酒泉の杜」 へ (2012年5月6日)

   本日も晴天なり。   かなり遅くに起床。朝食はパンor雑穀米のお握り。  しかし兄はいつものようにゆったりといつもの食事(一汁三菜と玄米ごはん)をしていた。  女はそれなりに支度に時間がかかるのだ。マグカップにコーヒーをなみなみと注いでパンをいただいた。  綾へ行ける時間ができたので、昨日のうちから日焼け止めクリーム(SPF50+PA+++)を買っておいた。  美容のためではないのだ(すでに遅し!)。宮崎の陽射しの強さに参っていたから。  今日は真夏日になるので、みんなで仲良く日焼け止めのクリームを塗り塗り。  皮膚呼吸ができるのだろうか?   表情筋が伸縮できないのでは?。  ホウレイ線が消えているのではないか?。(ヒロタミエコさんの顔が浮かぶのであった)    行きは遠回りをしてドライブを楽しんだ。  山で育った私たちだが山や田や畑が見えてくるとそれだけで嬉しくなるのだ。  約1時間のち到着。先ず藍染工房へ。  藍染めの服はどうしてもデザインが似通っている。  個性的なものを求めて見て回ったが私の好みのものには出会えなかった。  帽子の中にユニークなデザインのものと出会えた。 (手拭いを使って縫ってみようかしら)  それから、酒泉の杜へ。  私たちは一番奥の第三駐車場に止めた。  誘導係りの方たちは気の毒なくらい太陽と戦っていた。暑い暑いのだ。  陶芸の市は人が少ない(物も少なくなっていたが)。  おかげでゆっくり見て廻れた。買うことよりも見ることの方が好きなので満足できた。  オークションが開かれていたが、これにはまったく興味がわかなかった。    アンデスの音楽を30分ほど楽しんだ。  風あり日除けあり。コンドルは飛んで行く。楽器のサンポニャンの奏でる音に眼を閉じて聞き入った。  演奏が終わったら誰ともなく募金箱へ。      食事はさっぱり系で行きましょう! 皆が一致。    酒泉の杜で宿泊した日のことが思い出された。  あの日は姪っ子が盲腸で緊急入院したのだった。  かわいそうに痛かっただろうに我慢してくれていたのね。  そんなことちっとも知らなかった私たち。    姪っ子に「また来るね〜」と言って、こちらに移動。  夜はヒノキ風呂に浸かり、美味しいお料理を食べていたのだった。    今、姪っ子は、目の前でニコニコ顔して食事をしている。  甘いものをすすめたら「もう お腹いっぱいです〜〜」。  帰りにガラス工房の小物を買った。 青い鳥。840円なり。     帰路は父の話で盛り上がった。  子が年を取ると、親はまことに愛すべき存在になるものだ。  それは40年ほど前の話。中1の妹の参加日に来ていた父。  先生 「This is a pen.」   続けて   生徒 「リス イズ ア ペン」  生徒の声に混じって〜 ダミ声 が 聞こえる?   妹は「まさか!」と思ったのだそうだ。  父は、生徒と一緒に ”英語ふう”に発音して   「ジス イッザァ ペーン」って言っていたのだそうな。  妹は恥ずかしくて恥ずかしくてうつむいた。教室のみんなが笑ったそうな。  先生のスリッパは革張りだったので歩くと音がカツカツ。  しかしそのあとからズズ一スリースリー  底がつるつるとした革のスリッパの音がしたのだそうだ。  妹は「まさか! まさか! エ〜〜〜ッツ」と思って振り向いたら、父だった。   だったそうだ。  父「お! お前は〇〇さんとこの子か?」 「お!してお前は〇〇さんとこの〇〇君じゃねえ〜」と 云い、  肩をポーンと叩いて〜「しっかり勉強しなさい」とまで言ったそうな。  うぇ〜〜〜ん うぇ〜〜ん 妹は泣きたかったそうな。  父の自転車乗りのスタイルも評判になっていたそうだ。  絵に描かないと説明しにくいのだが。  膝を大きく開いて乗るポーズなのだ。      そういえばね、と私。思い出したのである。  それは、私が小学時代だから50年近くも前になる。  校長「どなたかご父兄の方にご挨拶を・・・」  父兄「シーーーーーーン」  父「それでは 私が」 と進んで前に。   そして話したのであった。の・だ・った・た・・・ ・・・。  あれも そうよ 運動会の日。  誰に頼まれたのか? 自発的なものだったのかも知れないが。  応援団長の姿(角帽に黒マント)で現れて、それはそれは大きな大きな声で、旗振りのようにして  大きく手と胸を広げて やっちゃったのであった。  それは 今風に言えば   かっこよかったから たまらん!!  ああ〜 愛すべき父よ!     あのころの私たち姉妹兄は、どれだけ父と距離を置いて身を置きたかったか!  父よ、ご存じないと思うが。  しかし、今の私たちは、あなたをこうやって ”旅のお肴にして語っているのです。  ああ〜もうたまりませ〜〜〜ん。  ワラって笑った。つっぱってならなかった日焼け止めクリームの効果はとうになくなっていて、  元の収縮性のある肌に戻っちょっとった。   明日は、姪っ子が働く「いつかの杜 うんじょ〜るの」のレストランへ行く。  それから銀鏡へ上がる。  7日から12日の夕方までの5日間にどんな出来事が起きるか楽しみだ。  予定に組んでいることは、障子張り。片づけ(掃除など)。夏野菜の植え付け。    ケイタイでまた日々を綴ろう。

  「還暦同窓会」 (2012/05/04)」 (2012年5月5日)

  会場に着いたのは午後5時40分だった。 ホテルの入り口でムッちゃんとトシちゃんを見て声をかけた。 昨日別れたくらいの時間差しか感じられなかった。 ロビーで榎本先生と樋口先生(チヨタンダ先生とホンダ先生ご欠席)、 タカシさん(幹事)。ミチアキさん・カネノリさん・ヨシヒロさん・アキオさん・マサヒデさん ・マサユキさん・トシマサさん・ミツオさん・ヒデトシさん・ヒロトシさん。 ウメちゃん・ノブちゃん・リエちゃん・スエちゃん・キョウコちゃん・ツヨミちゃん・フクちゃん ・ミワちゃん・マリちゃん・まりちゃん・マユミちゃん。 ”かわっちょらんな〜”と笑い合った。 それぞれの親兄弟の顔を覚えているからだろう。 小さな集落で育った私たちはとても世間が狭かったから。 行き着く先の”顔”はどこかにその面影が残っている。 壁に貼られた横断幕の筆文字は誰が書いたのだろう。 ホテルの方か?  判ったらまた書こう。 *********************************************  会が始まった。 榎本先生80歳。樋口先生89歳。48年の歳月を感じずにはいられなかった。 榎本先生がアルバムを持参してくださっていた。 先生は退職されるまでいったい何冊のアルバムを積まれたことだろう。 その中の一冊に我ら同級生の顔がいろんなシーンの中で登場していた。 釣りをしている男子の幼い横顔と今、ビールを飲んでいる60歳の横顔を重ねてみたり、 物故者となった三名の顔をそこに見て、遠い日のことが浮かんだり沈んだりしていった。 先生方の思いはいかばかりだったことだろうか。 樋口先生の詩吟「宝船」。朗々としていて今も耳に残る。 自然にそれぞれが移動してそれぞれの近況交換などしていた。 これからまた新しく交流が始まることだろう。 幹事よりカナダのあつ子さんからのメッセージが全員に配られた。そして紹介してくれた。 この日欠席した双子の一人のタケヒサさんのお便りも紹介してくれた。彼は保護司をしているそうだ。 銀鏡神社のお守りが全員に手渡され、集合写真を撮り、二次会(カラオケ)へ。 私は、園まりの「逢いたくて逢いたくて」を歌った。 中1の時に仲良し三羽烏(亡きミチヨちゃん・私・ツヨミちゃん)と学校の帰りに歌った歌のそのひとつ。 当時は、歌謡曲などが子供の私たちの間でも流行っていたのだと思う。 この夜、ツヨミちゃんが一緒に歌ってくれた。 彼女も当時のことを思い出してくれたのかもしれない。 榎本先生の「有楽町で逢いましょう」 びっくり! 裕次郎み・た・い・だった♪。 名残は尽きなくみなさんには申し訳ないけれど私は先に失礼した。 榎本先生と途中まで一緒に歩いていることの不思議を体感しながら歩いた。  今朝も晴れ。散歩。 昨日の運動公園のシロツメクサはきれいに刈られていた。 椋鳥はなにか物足りなさそう。テクテクとした歩。 空は青く今日も暑くなる予感がした。 日中はお土産を探しに町へ。 日向夏など発送することができてひとまず安心。 夜は外に出て月を仰いだ。美しい夜だ。 60年の歳月など全くなかったかのように地上を光で照らしている。 しかしながら仲間たちの泣き笑い人生、絆は紛れもない事実だ。

  朝の散歩と午後の生ジュース (2012年5月4日)

 6時半起床。晴れ。兄と散歩に出る。  朝日を右肩に受けて出発。  グランドの端っこで椋鳥の親子が虫ちゃんたちを食べている。  シロツメクサが朝露に濡れて光っている。  犬と人とすれ違う。車は徐行して過ぎていく。  目が合えば「おはようございます」。  そして犬も人もどちらからとも「おはようございます!」。  田の畔で一人男性が何やら口にくわえて動いている。  近づくとそれは細い糸で、どうやら鳥が近づかないように糸を張っていた。  その糸は放射線状に張り巡らされている。   アザミを近景にして写真を撮る。    日向夏の花、野バラ、ハゼ、柿若葉、椎の花、榎の若葉、グミ、見上げながら歩いていたら、  貧血の症状(眼がチカチカ〜足元フラフラ)が出た。  貯水池はとても広い。水神様が祀られいる場所に椅子が二脚置かれている。  ここからの眺めは湖だと思えばそう見える景観だ。  ウシガエルが鳴いている。ウグイスが鳴いている。  堆肥をこしらえているところを通過。  畑にはジャガイモの花が咲き、ソラマメは鞘を太らせている。大根はそのまま育てられている。  ニンニク、ラッキョウ、ネギ坊主、トウモロコシ、紫蘇畑・・・。  右も左も天も地も美しい!!  帰路、畑の草を刈っているおばあちゃまを見た。  腰が曲がっている。鍬も鎌もこの方が持つと動きがとても安定していて(安全)いる。  長年畑と田んぼを手入れされてきていることがよくわかる。  黙々と働いていらっしゃる。(何歳くらいだろうか?)   兄は「いつもこの時間に見かけるよ」と教えてくれた。  日中はどんなに暑くなることだろうか。夏はどんなになる?   宮崎はテゲ暑い!  帰宅。40分ほど歩いたようだ。  朝食。一切兄がしてくれた。  玄米(オカカとジャコ乗せていただく)、  具沢山のお味噌汁(お豆腐、シメジ、フダンソウ、麦味噌)、  梅干しとショウガの酢漬けと薩摩黒酢漬、焼き鮭、フキの煮付け、フルーツ。  そして釜炒り茶。   まことに嬉しい朝食だった。  そして庭の芝の手入れなどする兄。  私は暑さにたまらなくなって写真を撮っただけ。    宮崎日日新聞を丁寧に読む。  6日まで綾の手染め織工房にて「藍染作品500点展示」展開催」とのこと。  綾の照葉樹・ブナ林もを観たい。(行けたらいいなあ)  「窓」の欄に興味をひかれる記事があった。タイトルは「還暦の教え子同窓会で再会」。   あらら 今夕はまさしく還暦同窓会の始まりだ。)     睡魔がまた襲ってきた。  宮崎3日目の今日も眠い眠い。(約1時間半寝てしまった!)  兄がオリジナル生ジュースを作ってくれた。  素晴らしい!!   このジュースには以下のような効果があるとか?   @活性酸素の除去  A免疫力のアップ  Bガン抑制効果  C成長ホルモンの分泌促進  D血液サラサラ 材料 キャベツ・赤ピーマン・ショウガ・ブルーベリー・大麦若葉粉末・すりごま・きな粉・ハチミツ・豆乳。 味は、とろりしてすっきりとした味。 美味い! さあ〜食事はこれより摂らない。 同窓会でいただくことにしよう。

  訪問 待ち合わせ  そして蕗の煮つけ (2012年5月3日)

 昨夜はずいぶん遅くまで兄妹たちと起きていた。そして5時には目覚めた。  小鳥の声が耳に心地よい。  窓を開けるとレースのカーテンが優しく風に揺れる。朝日が回ってきている。  宮崎晴れ。美しい朝だ。  朝食はクロワッサンにベーグル(街の天然酵母のパン屋さん)に妹がこしらえてくれたミネストローネとコーヒー。  昨夜の残り物の古代米ごはんに納豆のジャコかけ。兄手製の釜炒り茶(実家の畑のもの)を飲む。  香り良し。お湯の温度を下げて淹れればどんなに美味しいことか。温度調整で解決。  美味しい〜〜〜〜〜♪ 「すぼった味がいいよねー」などと。  さて、今日は高校のときにお世話になった(下宿)キヨさん宅へ訪問。  同郷の後輩Tさん夫妻の案内で西都へ向かう。彼らの赤い車に乗り高速道路を走った。    実は私は今日の訪問にノースリーブのワンピースとレースのボレロとローヒールを用意してきていた。  その恰好をして鏡の前に立った。そして正座してご挨拶のポーズをとってみた。  妹が「やめたほうがいいかもね」と。  確かに。自己診断で却下することにした。  福助足袋のフクスケ君のように正座してご挨拶できないなあ。  滑稽且つ危険!!  背中のファスナーの辺りに裂け目が出るかも!!  結局は普段のカジュアルパンツに黒のカットソーに袴をリフォームしたコートを羽織って出かけた。  コートは刺し子ふうにして、布の裂けた場所やこれから裂けるかもしれない場所に共布を当ててチク  チクグルグル縫ったので力を入れなければ新しく裂けることはないだろうから。  西都までのドライブは近況を語り合える有意義な時間でもあり窓外の景色を見ながら「きれいね〜」の  連発もかなりオーバになるのであった。  訪問先に到着。  あらかじめ訪問のことを伝えていなかったがいらした。  キヨさんは朝から昔のお写真の整理をされていたのだそうだ。  99歳とおっしゃった。  Tさんのお母様と教員時代同僚でらしたキヨさんは「Tちゃん?」と  喜んで招き入れてくださった。  私のことを「〇〇ちゃん」ってすぐに思い出してくださった。  「傘を二人で探したわね」と。  私はもう記憶にはないエピソードも話してくださった。  目はイキイキと輝き、滑舌は非常に良い。  私は15歳になり、食卓を囲んでいるような不思議な感覚になった。  お茶菓子をおみやげに頂いた。  外へ出てそれは丁寧に手を振ってくださった。  帰りは西都原公園へ。  平年ならツツジが咲いているところだが咲き終えていた。  「咲いている所をみせたかったねえ」と優しい会話。  一昨年榎本先生から西都原の一面のひまわり畑の写真をいただいたことが昨日のことのように思い出された。  明日の同窓会に榎本先生が現れるはず。  勾配のある坂を下り、彼らの懇意にしているレストラン「緑風庵」でごちそうになった。  ここは、以前カナダ@あつ子さんを伴って食事をしたところだと聞いた。  明日はあつ子さんのメッセージを携えて私は同窓会に出席する。  レストランの庭にはショウブが咲いていた。  そう、五月の節句の時は実家の隣の家のマサエさんが頭にショウブの葉を巻いて  我が家の庭を横切っていた時の光景が浮かんだ。  そしてその隣の家のキッコさんが  割烹着を着て姉さ被りをして口をすぼめてショウブの花を両手に抱えて横切って行く光景が  しばらく浮かんでいた。  宮崎の太陽は熱い。熱い日差しの中で咲いているショウブが涼しげに見えた。  帰り楽しい話に身をよじりながら身を乗り出しながら〜〜  そうしたら〜〜私の右袖が縦に裂けて敗れた。  シャ=キッと音がした。  また花火を描こう。  グルグルカラフルに糸を刺して。    帰宅したら睡魔に襲われ約3時間ほど寝た。  それから兄と蕗を煮た。蕗は実家の畑のもの。写真はその工程。  素材の味が生きていた。写真は順番に:板ズリ、茹でる、冷水に浸す、皮むき、切る、煮汁、完成。

   ラッシュラッシュラッシュ (2012年5月2日)

 天気予報では雨嵐のこと。油断できないので30分早く家を出る。 10輛編成の3りょう目に座れた。人がこちらに移動して来る。 上野まで一時間弱。山手線満杯なので二回見送った。三回目はやや隙間が見て取れた。 10号の絵の額縁を肩から下げて乗りこんだ。 それからも出勤の群像が通過して行くのを見送った。 東京ー博多行乗車。お弁当から始めよう。 めるすきさんから行ってらっしゃいのコールが入った。 新横浜通過。外は雨 ************************* 静岡ー緑滴るの風景の中に工場が見える。そして茶園。昨日は八十八夜だった。 名古屋辺りで雨上がる。三人がけの窓際が私の席。中空き。通路側は犬連れの若い女性。 ゆったり座れていい。京都まで『アメリカ文学紀行』の続きを読もう。 ありさんからも行ってらっしゃいメールが入った。ありがたい。 ************************* 新神戸発車。風が吹いている。服装は誰しも薄着だ。 空が明るく見えたが?あーあトンネルだあー。 只今ケイタイの充電中。私の足元にコンセントがあるのでありがたい。 バソコンのサービスは新大阪までだった。 傘が見える。降ったり止んだりしているようだ。 神戸には一度も来たたことがないので、本を閉じてしばらく外を眺めよう。 横浜とは少し違って感じられるのは目線が低いからだろう。 トンネルをいくつ抜けたのだろう。小さな家並みが見えて来た。 雨のせいか落ち着く風景だ。川あり橋がありたんぼ畑、緑なすものみな美しい。 雲が流れている。 そして岡山に到着。 高層ビルが灰色に変わった空に馴染むかのようにただ建っているように見える。 動いているものが見えないことが電車の旅人にはちょっと色合も望まれるが。 家のたたずまいが整然としていてかつての城下を彷彿させる。 稲作の日本美しい。 ************************ 福山では雨が激しく窓を叩いた。 私は眠っていたようだ。コーヒーをいただく。3百円。ケイタイは圏外。 しばらくして着信あり。嗚呼 カナダから同窓会のみんな宛てにたメッセージが。 たんぽぽちゃん(あつこ@カナダ)ありがとう。 確かに受領しましたよ。 小倉までまた本の続きを。同郷の友人の本を読むことのなんと幸せなこと。 故郷へ向かう道中にだ。感想はまたゆっくり伝えよう。 省一さんは連休が明けたらイギリスへ旅に出るそうだ。さるきシリーズが続いている。 さて、小倉からはどんな旅になるのか。 ************************* 小倉からは山あり谷ありの予感がしてきた。 私の指定席に学生さんらしき女性がいる。 そばでイギリス人の青年がチケットを確認している。 私は彼に日本語で声をかけた。(座席番号の確認のために)。  彼はチケットを見せてくれた。私の隣の席の番号だった。  流暢な日本語で、じつに紳士的に私に席をすすめてくれた。  私たちのやり取りを彼女は見ていないわけはない。  しかし彼女は、じつに涼しい顔してー立ち上がり去って行った。  青年と私は運命共同体になったような気がした。  しかしこの優しい時間は中津までだった。  良い旅を!  日本の若い女性があまりにもマナーのないことに恥ずかしい思いが残ってしかたない。  ケイタイの充電サービスがないので別府まで閉じることにしよう。 *************************  別府で一分間の再会を果たすことができた。  はるかさん(「木曜日の風の色」)からメールをいただいてから私はこの一分間の停車時間を  最大有効に使い切るにはどうしたら良いか考えた。  はるかさんも考えた。そしてホームで会えたのだ。  とにかくハグハグで30秒。互いの顔を見てお土産交換。顔を見合うこと20秒ほど。  手を振り振り電車に乗り数秒。席に戻る気持ちにはなれなかった。  大分までの6、7分を出口に立ったままでいたかった。ありがとうはるかさん。  写真は、はるかさん手作りのアクセサリーと所属している「大分県詩人協会」の詩集。     
 宮崎まで懐かしさに満ちて来る景色を楽しもう。宮崎では兄が迎えに来てくれているから。  雨はすっかり上がりうっすらと日がさしこんできた。

  くろまめ帰郷  (2012年5月1日)

 明日からふるさとへ。    5月に帰省するのは何年ぶりだろうか?もしかして40数年ぶりか?  クロネコ宅急便で一番大きなサイズの箱をふたつ送り届けた。それなのに今日は他にも持って 行きたいモノが出てきた。ふるさとの風景を写真に撮ったり、スケッチもしたい。俳句もできる かも。あれこれ楽しいことを描いては荷物が増えていった。  ふるさとでは中学時代の同窓会が待っている。卒業以来会える人もいるようだ。先生も4名御 出席くださるとのこと。いよいよ空想が現実味を帯びてきた。しわ・しみ・たるみ・老眼・白髪… …なかなか味が出てきて愉快愉快。私は今のまんまでひょいと顔を出そうと思っている。「誰や?」 「誰ね?」ちて言う同級生がいればいるほどそれは嬉しいことだ。(と強がりもあることはある) 先生とはどんなお話しになるのだろうか。このことも楽しみだ。  そして実家の両親とは滞在の半分を一緒に過ごせるのだ。山の霧と土と山菜と田んぼと花と木々 と電信柱(でんしんばしら)に挨拶しよう。  行きも帰りも新幹線を使うのだ。若い頃上京してきたときも新幹線だった。ただし博多からだっ たが。九州新幹線ができて時間は縮んだ。鹿児島のほうには向かわないで小倉で乗り換えして特急 ソニックとにちりんで宮崎に向かうルートを選んだ。家を出てから11時間30分で宮崎駅に着く。  列車の中から便りを出そう。家でそらまめが受けてアップしてくれることだろう。  さあ!寝なくては。 

 那須省一 著『アメリカ文学紀行』  (2012年4月16日)

 「私はもとより、アメリカ文学の専門家ではありません。私なりの「解釈」で取材を進めてまい りました。今のアメリカ社会の「一端」は切り取ることができたのではと思っています。気軽に読 んでいただければ幸甚です   那須省一 」         同郷の友人の活躍は特に嬉しいものだ。那須省一さんは学生時代からユニークな人物だった。 長じてはウイットに富んだ話に磨きがかかり、引き込まれたものだ。顔は幼少の頃からあまり変 っていない。30年ぶりに会った時、すぐにわかったほど。現在もそのときから体重の変動くらい。 しかし、読売新聞の「号外」を手に持って仲間との約束の場所に現れたときは「記者」の顔をし ていた。   「2010年読売新聞社を退社してからは海外を「さるく」(歩く)旅を続けています」と便りに。 アメリカへ、そしてアフリカへと 彼の”さるいた足跡”は『二人の運命は二度変わる』『ブラッ クアフリカをさるく』と題して書肆侃侃房より発行。 (下記サイト クリック!)    http://www.kankanbou.com/kankan/?itemid=459    『アメリカ文学紀行』も私の癖で(本を読むとき)、「はじめに」そして「あとがき」を読んだ。 すると、<旅は体力!腹ごしらえをする著者(マイアミにて)>の顔写真が載っていた。  5月私は宮崎へ帰省する。新幹線の中でゆっくり『アメリカ文学紀行」を味わい、日豊本線あたり で食べ尽くそうと思っている。

 一人称 二人称  (2012年4月15日)

 この頃、テレビやラジオで昭和の歌を聴くことが多い。なかでも昭和30,40年代の歌 の歌詞には当時の「若者」が一生懸命に社会に立ち向かっている声が聞こえてくる。 「下町の太陽」は、下町を知らない(九州の山奥で生まれ育ったので)私には空を歌うとい う光景が描けなかった。もっとも幼かったこともあるのだが。 今聞くと歌詞の言葉にけなげさが伺える。美しく清潔で明るい。貧しさに太陽の光が希望を 持たせる。そのように感じられる。  昭和30年代、私の村では各地区で小中合同の自治運営の集まり(会の名前が思い出せない が定期的にあった。その集まりのときは、宿(やど)(会場は各家が当番だったのか?)の部 屋のふすまを広げて50名くらいの小中学生が議長席に向かって正座していた。議長はリンゴ 箱に手をついて、本日の議題を説明していた。そしてみんなで話し合うのだった。オブザバー で父兄(死語)が数人居た。会が終わる頃に中学生が立ち上がり、スクラムを組んで歌った歌 があった。私は今でも諳んじて歌える。  しあわせはおいらの願い 仕事はとっても苦しいが  流れる汗に未来を込めて 明るい社会を作ること  みんなと歌おう しあわせの歌を  ひびくこだまを 追って行こう  しわせはわたしの願い あまい思いや夢でなく  今の今をより美しく つらぬき通して生きること  みんなと歌おう しあわせの歌を ・・・・・・・・・・  しあわせはみんなの願い 朝やけの山河を守り  働くものの平和の心を 世界の人にしめすこと  みんなと歌おう しあわせの歌を ・・・・・・・・・・  どのような経路で村に入ってきたのかわからないが彼らはとても明るい表情で歌っていた。  当時の歌や会話は二人称で”我々は”というものが多かった。議論が好きな若者が多かった。  平成の若いひとたちは「私的には〜」「僕的には〜」と一人称で語尾を上げて話す。情報が 多すぎて、知ったつもりになって未来にしらけきっているのではないだろうか。未知のものが あるということが人を謙虚にし、ポジティブにさせるのではないだろうか。

 「ゆっくり歩けば元気で遠くへ行ける」  (2012年4月10日)

 新聞か?なにかの本か雑誌かで目にした言葉だろう。古いノートの表紙の裏に「ゆっくり 歩けば元気で遠くへ行ける(イタリアのスローライフ」と書いている。  今年に入ってから少しずつ古いものを整理しているのだが、ノート類は一枚一枚読まないと 気がすまない。しかしひどい字だ。走っていたり飛んでいたり斜めから入り込んでいたりして 忙しい。「ゆっくり・・・」は丁寧に書いている。「イタリアのスローライフ」は、ハートマ ークで括っている。感動したはずの日の日付を入れていない。よっぽど感動したからだろうか。  昨日は友人たちと我孫子周辺を歩いた。ひとりがボランティアガイドをしていることもあっ て私たちをガイドしてくれた。足を止めては、ベンチに腰をおろしては、また歩き出し、そう やって道草をしながら歩いた。西洋タンポポが道々に咲いていた。日本タンポポを保護しなく てはいけないねと誰かが言った。手賀沼の遊歩道でひとりがシロバナタンポポを見つけた。そ こだけに一輪咲いていた。ここに囲いをすれば保護できるかもねと友人。 歩くこと15000歩。食事をして2時過ぎ解散。程よい疲労感が実に良かった。  さて、「ゆっくり歩けば元気で遠くへ行ける」は、ゆっくり歩けば多くのモノが見えてくる、 とも言える(と思う)。車で観る景色とは違う世界が見えて、想像力も広がり愉快になれる。 一緒に歩く友がいれば尚楽しい。  ランニング用語にある「ロング・スロー・ディスタンス」はゆっくりと長い距離を走れば持 久力がつくという意味だが同じ意味合いだと思う。歳をとって体力がなくなってくると、この 「スロー」でも良いという言葉がことさらに元気づけてくれる。  歳をとると動きはスローになり、見えてくる範囲は狭まるが、長年の経験で「感受性」が高 まっているので、入ってくる「情報量」はむしろ増えていると思われる。私には先のことのよ うにも思えるが今のことのようにもある。 ま、ゆっくり行こう。

 ゆるい時間  (2012年4月3日)

私はコーヒーが好きだ。日に5杯以上は飲んでいる。豆はアメリカン用に煎ってもらっ ている。豆に拘ったりしていたこともあったが今は買いに行けなかったりすると、いた だいていたインスタントコーヒーを飲む。3杯目あたりからは「美味しい」と感じる。 「ねばならない」ということが年とともに少なくなってきている。そしていろいろ面白い と思うことが増えてきた。なにが面白いって一番は人間だ。面白い人間の手工芸品、文芸、 舞台、畑、音楽、美術など。アイディアのある人間は面白い。そういった人たちのトーク を聞いたり、隅のほうでちょこちょこっと話に参加できる隙間があったりするとえらく嬉 しい気持ちになる。  なかでも年配の方が好きだ。一人の人間の何十年もの経験が脳の中に凝縮されている。 そして熟成されている。ポツポツ語る中にキラキラとした実体験がヒョイと現れる。 私は前のめりになって拝聴する。難聴なのでかなり接近する。仲良くなれる。楽しくなれる。 そういった方たちとコーヒーを飲みながらゆるい時間を楽しむ。

 ♪妹よの妹は  (2012年3月27日)

 何十年も昔によく歌っていたフォークソングのひとつはかぐや姫の「妹よ」だった。 先日、お風呂に入ろうかと思う時間帯にテレビで昔の歌が流れていた。懐かしい思い になったがお風呂に入ることにした。湯船に浸かって「妹よ」「木綿のハンカチーフ」 を歌った。 「あいつは俺の友達だから」「あの味噌汁の作り方を書いて行け」「どうしてもだめ だったら帰っておいで」「都会の絵の具に染まらないで」「涙ふく木綿のハンカチー フください」・・・・・・とあの頃の歌詞は文学的に青春を代弁していたと思う。 「さだまさし」の歌は人間味があって好きだ。例えばこうせつの「妹」が「関白宣言」 の妻になっていたらどうだろう。  あの歌のあの登場人物があの歌のあの登場人物だったら?   コントができそうに思えるのだが。

 第11回 ピンクリボンウォーク2012  (2012年3月25日)



 日比谷公園9時より受付。早めに行ってスタート地点を撮った(写真左)。 会場の更衣室からピンクのTシャツに着替えた人たちが吐き出されてくる。笑顔とともに。  友人と落ち合う。10時より開会式。ブレストケアトーク(写真右)。 島田菜穂子医師×倉田真由美/漫画家。空は青く暑い。話は面白いがとにかく暑い。下を向 く人たちが増えてきた。歩くコースは2キロ(丸の内コース)、5キロ(皇居一周コース)、 10キロ(外堀コース)。私たちは10キロを歩いた。  園内のチューリップは芽を出していた。桜は遠目に枝の辺りがピンクを帯びていた。例 年に比べて開花が遅れている。歩いているうちに列の間が少しずつ開いてきて自分たちの 歩幅で歩けるようになった。こうなってくると実に楽しい。一緒に歩く友人は、横浜の公 園でベビーカーデビューをして以来の友だ。会うときは必ずプランに歩きが入っている。  帰りは有楽町に出てアールグレイの香りに包まれて小一時間ほど豊かな時を過ごした。 歩数21759歩。  歩いたことで特筆すべき出来事があった。  ピンクリボンのバッジををリュックにつけた女性が私たちの前を歩いていた。リボンは ハートのマークになっていた。「ハートの形をしたバッジもあるのかしら?」「2個をハー ト型に並べているのかなあ?」と話していたら、リュックの連れが振り向いて「2個です」 と答えてくれた。「○○ちゃん!」と私が問うと「えっ?」と応えた。私は日除けに頬被 りしていたタオルを取った。「4婆の旅」の仲間だった。6月2年ぶりに四婆の旅を再開する ことになっている。

歌の力 洋服の力  (2012年3月23日)

 先日、同級生の智恵ちゃんがCDを贈ってくれた。宮崎県西都市妻(さいとしつま)の 西都原(さいとばる)をテーマにした歌で美しく澄んだ声が風に乗って西都原を旋回して いるように感じた。曲名は「私のパワースポット西都原」「西都の風にさそわれて・・・」。 インターネットの時代に生きる私たちは実際に楽曲にふれることができる。まるで旧知の 友のようにこころをかよわせられる。音楽はいい。  朝ドラ「カーネーション」の主人公(糸子)の言葉には洋服力が発揮されている。 デザイン力。コーデイネート力。着る人の潜在力を引き出す力。体型、年齢、体況にあわ せて着る人を輝かさせる力・・・。今朝は末期患者と糸子がこころをあわせた場面が印象 にのこった。最終章にあっていよいよ糸子の言葉を聞き漏らすまいぞと思った。  夜はNHK BSプレミアム「沢田研二 ザ・タイガースを歌う〜40年ぶりに日本武道館でスペシャル・ライブ」。 彼らがGSをリードしていた頃、派手な衣装を着た彼らのポスターを私は下宿の部屋の壁に 貼っていた。机に向かい顔をあげるとすぐそこにタンバリンを持ったジュリーがステップ を踏んで立っていた。赤い衣装だった。肩章に白い房が垂れていたことを思い出して、テ レビのジュリーを目で追った。歳月は私にも彼らにも容赦なく形を崩し彫りを刻んでいる。 水分と脂肪を必要としない部分にこれでもかというくらいの量を盛っている。メンバーの 中でただ一人ジュリーがぷっくりしていた。しばらく経つと目が慣れてきて、ぷっくりは 気にならなくなった。動く。流れる汗。連続して歌う。弾く。叩く。会場のご婦人たちの 声援でエネルギーが再生されていくのであろう。 私と同年代のご婦人方にライトが当たるとファッションがよくマッチしているのが見て取 れた。過去に思いを馳せているらしい? 涙しているご婦人がいたり、ポワンとしたまな ざしで舞台を見ている男性もいたり・・・。時間の重なりは面白い。タイガースのみんな が白髪まじりで好感が持てた。  ステージのさいごの30分ほど観たのだが長い時間を感じた。メンバーのひとりが参加して いないことをジュリーの説明がなければ気づかないことだった。

予告! 5月12日から東京都写真美術館にて  (2012年3月23日)

写真家・川内倫子の個展「照度 あめつち 影を見る」がはじまる。 会期:5月12日(土)〜7月16日(月・祝) 会場:東京都写真美術館(2階展示室)  詳細はこちらを ↓ クリック! http://www.switch-pub.co.jp/culture/061122134.php  関東近辺にお住まいの銀鏡関係者のみなさんにはぜひお誘いの上、  銀鏡がうんと近くで見れることでしょう。  

  Amazonより到着!   (2012年3月22日)

 「銀鏡(しろみ)」という文字が表紙に出ている。      嬉しくて文字の上を指で撫でた。      本を開く。目次を見る。   100P見開きに祝子(ほうり)全員が載っている。     銀鏡では舞う男の人のことを祝子と言う。        夜を徹して舞った祝子さんたちの顔だ。        (以下、本文より)   銀鏡神楽とはいかなる祭りか   350カ所以上の村々で神楽が行われるといわれる宮崎県。   なかでも山間部で行われる夜神楽の   高千穂神楽、椎葉神楽、米良神楽は   古来の姿を今に伝えるものとしてよく知られている。   その米良神楽の中のひとつ、銀鏡神楽を体験する。           目的は神様に喜んでもらうこと     銀鏡の名前の由来     星と舞う夜     夜を徹した神楽のはじまり   (以上、文と写真=赤坂友昭)                     (以下、見出しより)  「闇をことほぐ」     宮崎県「銀鏡神楽」の神々と精霊に出会う旅               対談 鶴岡真弓×山口智子                  (以上)    私は読み終えて、朝霧の立つ庭の赤い鳥居を思った。  曾おじいさんが叩く太鼓の音を聞いて育ったことを。そして祖父の太鼓を。そして父が叩く太鼓の音を。  今でも太鼓の音を聞くことがある。聞こえてくるのだ。  嗚呼、あそこが私のふるさとなのだ。

 雑誌『SWITCH』特別編集APRIL2012( LISTEN. 山口智子)  (2012年3月20日)

 「ビックリです!!ぜひ読んでみて! 銀鏡神楽を女優さんたちが熱く語ってます」。  同郷の友人が知らせてくれました。  本は、3月10日に発売されていました。早速アマゾンに注文したところです。 そういえば、昨年の12月14日の銀鏡(しろみ)祭りに女優の山口智子さん。鶴田真由さん。 多摩美大教授(ケルト芸術研究家)の鶴岡真弓さん。他、数名の方がお神楽を観にいらし たという話は聞いていましたが、それがどのような事情でいらしていたのか私には皆目わ かりませんでした。ネットでレビューを読んで納得!。  ご興味のある方は、下記サイトを覘いてみてくださいね〜。  銀鏡に関する記事は、頁087〜紹介されています。 http://www.switch-pub.co.jp/switch/2012/03/074121940.php  

  テレビ 「とくせん お宝映像」を見て  (2012年3月14日)

1975年の映像だった。伊勢正三が「♪なごり雪」を歌っている。歌にも”りきみ”が出ている。 彼は1951年生まれだから当時24歳。  つい最近、現在の正三が「なごり雪」を歌う「いるか」の歌い方を褒めていた。「当時から 力を抜いていて歌っていてやわらかく響いてくる」というようなことだった。そういう正三も 物腰も口調もやわらかくて静かなムードをかもし出していた。61歳の正三はなかなか味がある ではないか。  数日前、ラジオ深夜便で加山雄三が語っているのを聞いた。 いろいろあった今現在。今を好奇心を持って力まず油断せず 急がずに微妙な按配を保ちつつ 感謝しつつ暮らしている様子が伺えた。力みのない正直な語りに次回続きを聞きたくなった。  今日は10ヶ月ぶりに絵の教室に行った。家を早めに出て美容室で髪をカットしてもらうこと にした。駅のホームで俳句の仲間と9ヶ月ぶりに出会った。私たちが並んで座れるように席を 譲って下さったご婦人が私たちの話の中にちょこちょこっと入ったり出たり(笑)。そのうち 私たちは近況交換。朝のドラマが15分でも「長編」になるように私たちもそうなった。かくし て明後日の句会に出る約束をして分かれた。  美容院では予約はしていなかったがいつもお願いしている○○さんがいらした。彼女には私 のデーターがきちんと頭にインプットされていた。近況を語るときスムースにアウトプットが できて実に心地良い。50歳にはまだまだ先のある彼女の対応に優しさが伝染してきた。  絵の教室でも力まない面々と再会できて、時間が一気に埋まった気がした。今夜の「とくせ んお宝映像」を見て、今日の一日を振り返ってみた。  さあ、今月の句会の兼題「蜥蜴出ず」「牡丹の芽」。始めよう。

  桃の節句  (2012年3月4日)

 3月3日、両家の親族が娘夫婦の家に集った。このような行事があることの意義をしみじみ と感じた一日だった。  桃の花と蛤のお吸い物、ちらし寿司、白酒。赤いマットにお祝い箸を並べると、もうここは 可愛らしい世界。赤に桃色に菜の花色。淡く優しい春の色は雛あられのよう。  親王飾りの前に、たくさんのぬいぐるみが並んで楽しいひな飾りになっている。そしてみな さんからの手作りの小物(精巧にできた貝の男雛女雛従者。見事な刺し子のお雛様マット)な ども並べられていてアットホームな初節句となった。


 真っ赤な縮緬袖なし被布(ひふ)がひよこまめちゃんにとても似合っていたことを写真で自 慢したいところだが(笑)。試着することなく本番で見事に着こなしてくれた。  この日のみんなの表情をCDに焼いた。親戚の小さな男の子と女の子の愛らしいしぐさが輝い ている。来年の今頃は、ひよこまめちゃんとこの子達が一緒に遊んでいることだろう。

  NPO法人 農家のこせがれネットワーク  (2012年2月22日)

 ネットで私の故郷 銀鏡(しろみ)について調べていたら「『銀鏡』の本のこともよろしく お願いします」とつぶやいている人がいた。 「10年後、小学生たちに将来なりたい職業は?と聞くと『農業!』と答えが返ってくるよう になっていたい」と会の代表者が語っていた。 ↓私は代表者の挨拶を読んで、しびれた。 http://kosegare.net/network/ceo.php/    爽やかな気持ちになれた。  会は3月10日(土曜日)に3周年を迎えるのだそうだ。  記念の大感謝祭のプログラムもユニークだ。    よろしかったら下記サイトをごらんください。 http://kosegare.net/news/news/view/00000000052   http://miyajibuta.livedoor.biz/    話変わって、あきれた話パートU。  ラジオから流れていた評論家のコメントにがっかりした。  評論家 「政府の対応が悪い。”何を”なすべきか早急に対策を提示すべきである。」  聞き手 「粛々と受け止めたいと思います。ありがとうございます。」    えッ  もう終わり?   評論家の考える「何を」の内容はなあに?   具体的なアイディアを言えないのにいかにも自分の意見もどきのことを叫んでいる評論家と  その「何を」が聞き出せないインタビュアー。  時間内に番組は終わっても確信の具体的アイディアもなしに周辺で騒いでいるだけの番組で  は明日からは何も新しいことは発生しないのでは。  

  あきれた!  (2012年2月20日)

  今朝外出のさいにカーラジオを聞いてあきれた。  「大学で友達が出来ないために休学する学生が数万人いる」  「こういった生徒達を支援するNPO団体ができた」   私は支援する側に対してもあきれた。優しいのもいいかげんにしてもらいたいと思った。  友達は出来るものではなく作るものだ。自己発信ができない待ち受け状態の若者(ばかもの)  に、どうのような支援をしようとしているのか? 報道を聞いていても理解できなかった。    おかしいぞ。オカシイゾ。幼稚すぎるぞ。(立派な青年もいるが)憤慨なり。  そういえば、一人でご飯を食べているのを見られるのが嫌で、トイレの中で食事をする学生  もいるとか。    中島みゆきのCDをかけるのだ。  ♪縦の糸はあなた〜横の糸はわたし〜織り成す糸は〜   NHK朝ドラの主人公の糸子もいいよねー(拡大解釈すなり)。  今朝のストーリーは、おっとり三女が母親の糸子に「こうありたい」本気を態度で示した。  本気をキャッチした糸子。そして姉二人も明確な意思を持って支援することになった。明瞭  爽快に解決していくまで摩擦に亀裂も起こる。人生の何合目においても簡単に登れる道はな  いのだということを「友達できないから休学します〜」の生徒たちは理解できるのだろうか。  まったく あきれて ウ。ウ、ウ、ウー  そして、目的地が近づいてきた。  道路工事中の交通整理をしている人が旗を出した。助手席の私は、この旗をどう受け止めて  よいのか迷ってしまう。わたしが運転しているのではないけれどどきどきしてしまう。夫は  上手に止まったり進んだりするのだが、私は「あれでよかったのかなあ〜」って思うのだ。  「行け!」「待て!」の二つがあいまいに見えてならないのだ。  あらら、あきれられるのは私の方かも。

  ひよこまめです。もうすぐ2ヶ月になります  (2012年2月8日)




      毎週土曜日になると必ず会いに来てくれたパパ。ありがとう。       ほっぺを撫ぜ撫ぜしてくれてありがとう。       だいじにだいじに抱っこしてくれてありがとう。       ミルクを飲ませてくれてありがとう。       


             お部屋がお日様でいっぱいになるとお風呂だったよ。       ママがお顔とお尻をきれいに拭いて       それから体重を計ってくれたね。       おひげの人が大きな手で支えてくれたよ。       マスクの人とママが洗ってくれたね。       「きれいになりましたねー」って声をかけてくれたのは       大おばあさまだったんだね。              体重が4800グラムを越えましたー                      


             昨日はミルクもおっぱいも吐かなかったって。       6時間も寝てたので「起きないですねー」ってママが心配したんだって。       今日は親指をお口に入れておしゃぶりしていたんだって。       泣きながら そのうち スースー寝たんだって。              もうすぐ、お家に帰るんだね。 ワーイ      

  ああ〜〜〜いけない!  (2012年2月2日)

「くろまめの銀鏡(しろみ)神楽」のアルバムを誤って削除してしまいました。  これを機会に閉じます。  長い間ありがとうございました。  

  ひよこまめちゃん (2012年1月30日)

我が家はもっか生後ひと月半の孫(ひよこまめ)の育児に奮闘中である。生まれたばかりのとき はママの胸の上でうつぶせにされて片方の目を半分開いて私たち祖父母と対面した。みんなが「 生まれてきてくれてありがとう」と声を掛けた。  産院を退院したママとひよこまめはパパと一緒に自分たちのお家に帰った。それからしばらく してママとひよこまめが里帰りして来た。ベビー用品、ベッド、オイルヒーター、加湿空気清浄 機も運び込まれて育児環境が整った。 毎朝ベランダにパステルカラーの洗濯物がぶら下がる。三時間おきに授乳。ひよこまめはその時 間がくるとゆっくり泣き始める。舌でおっぱいを探る様子に変ると泣き声が強く高くなりビブラー トの効いた泣き声が広がる。飲んでげっぷしてねんねする。ふんわりやわらかい新生児微笑をみせ てくれる。 午後2時前後、お日様の差し込む居間で沐浴をさせる。レースのカーテンを通してやわらかい光 がほてった肌を柔らかく包む。ローションをつける。オムツを当てて服を着せる。ご機嫌はまだま だ持続する。ゲップもおならも元気が良い。毎日新鮮な笑いを誘ってくれる。  夕方になると「たそがれ泣き」が始まる。抱っこしてあげる。「切ないねえー切ないねえー」と 言いながら背中をさすってあげる。そのうち寝入ることもあるが大抵は長泣きする。  大人はひよこまめの適温に合わせるのでちょっと寒かったりもしたが慣れてきた。みんなよく手 を洗うようになった。そらまめは「普段の5倍くらい洗うようになった」と言っている。ひよこま めはミルクの匂いを放つようになり体重測定器から足がはみ出すようになった。

  寒中拝(カンチューハイ) (2012年1月21日)

 どうぞ 風邪にご用心くださいねー。

  勝ち勝ち (2012年1月19日)

今朝のNHK「あさイチ」の中で ♪  宮島さんの神主が  おみくじひいて申すには  いつも赤(白)が、勝ち 勝ち勝ち勝ち  という歌詞の宮島に古くから伝わる歌を紹介していた。 「勝ち」というのに合わせて、しゃもじを「カチ」とたたいて歌っていた。 宮島ではこの歌を歌えない人はいないと言う。 広島カープの応援歌にもなっているそうだ。 私もこの歌の節回しと歌詞に思い出がある。 ふるさとでは小・中合同大運動会の応援歌として歌われていた。 ♪  銀鏡(しろみ)神社の神主が  おみくじひいて申すには   今日の運動会は  赤軍(白軍)の勝ち勝ち ♪  もしも白軍(赤軍)が勝ったなら  電信柱に花が咲く   絵に描いたダルマさんが  踊り出す踊り出す 村のみんなが総出で参加していた運動会の光景。 中学生のお兄さんお姉さんたちがすごく大人びて見えていた。 お年寄りたちの観覧席はひな壇だった。 銀鏡ではいつ頃から歌われていたのだろうか。 番組には北海道の人から意見・感想が寄せられていた。 「私も歌っていました。どのようにして広まっていったのだろうか」。

  「山の駅 銀鏡」完成 (2012年1月16日)

 ふるさと便りに乗せて、またひとつニュースが入ってきた。  昭和40年代前半まで”銀鏡銀座(しろみぎんざ)”と呼ばれていた商店街に「山の駅」完成!。  私が中学生の頃は、この場所は「タガ商店」だった。お薬、日用品、駄菓子を扱っていた。  部活はテニス部だった。帰りにみんなでちょこっと駄菓子を買ったものだった。  ここのご主人(たがじい)がとっても子供好きで、私たちを相手に楽しんでくださった。  やがてご主人は亡くなり、店を閉じた。  この店を左手に曲がると、銀鏡橋があり、この橋を渡って中学校へと歩いた。  毎年12月14日は、銀鏡夜神楽があり、この日は学校もお休みだった。  校舎に練習している神楽囃子が聞こえてきたものだった。  新聞に掲載された「山の駅 銀鏡」の記事を読んで脳裏をふるさとの今昔が行き交った。                           

『日向の国 銀鏡神楽と歴史(仮称表題)』出版の案内 (2012年1月9日)

   一読、地元に暮らす人達の次世代へ繋ぐ(”地元発信の民族誌”)思いが伝わってきて じっとしていられなくなった。                           よろしければ、ご興味のある方はくろまめ宛て(Email:yezi@f4.dion.ne.jp)に、  メールくだされば、事務局(「銀鏡神楽と歴史の会」)にお取次ぎ致します。

 誰にも故郷がある 私の銀鏡(しろみ) (2012年1月6日)

 毎年、暮れになると銀鏡神社からお札(「日向国境 銀鏡神社守護」)が届く。そして実家からも お札が届く。額縁に三つのお札を並べてお祀りし、ご加護をお受けしている。結婚以来続いている我 が家の行く年来る年の慣わしになっている。  新婚時代は額縁が部屋の雰囲気に似合わないので気になっていたが、夫はありがたくお受けしてき ちんと御祀りしてくれたものだった。娘が片言の言葉を発するようになった頃、海外出張になり夫が この額縁に深々と頭を下げている姿を見た。仏壇の前でも手をあわせていた。家族はそれからもいろ いろなことがあったがその都度彼も私も手をあわせてきた。自然と娘もそのようにして成長してきた。  作年娘が出産した。その日は銀鏡の大祭が始まる日。退院はお祭りが終わりの日。実家の両親には 兄妹たちから伝えてもらった。両親にはこれからゆっくりと曾孫誕生の経緯を語ろうと思っている。  銀鏡は昨年数名の方々が亡くなったそうだ。人口はこの先も減り続けることだろう。村の時間は老 いを加速させている。80歳になってもまだまだ現役の村であったが年々細ってきていることを私は 遠くに居ながらにして実感している。  銀鏡のみんなが銀鏡神社を拠り所にしてきていることの意味をいよいよ考え、そこで”後世に文字 として残こさねば”ということになったと聞いている。 本編纂については、民俗学写真家の須藤功氏の協力を得て、”地元発信の民族誌”を目指している そうだ。     作年の大祭の折に、銀鏡神楽をご観覧いただいた不特定多数の人に配られたパンフをここに紹介し たい。      予告! 銀鏡神楽 −日向山地の生活誌ー             私は私の銀鏡の清楚な民の歴史をより多くの方々に知っていただけたらと切に願っている。

 謹賀新年 (2012年1月1日)

    本年もどうぞよろしくお願いします。    皆々様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。   大阪の友人からいただいた京菓子(そらまめの形)。    とっても可愛くて福が福々笑っているかのように見えました。    今年も元気に道草を楽しみながらゆっくり歩んで行きたいと思います。    どうぞ皆様 くろまめの小さな展示室に遊びにいらしてくださいね。