Special
日本のはじっこカフェへ 〜八重山4島めぐり


「実家の母の体調が悪いので、お仕事無期限で休ませてください」

人生最大の嘘をついて店を飛び出し、私は荷造りした。水着もパスポートも入れた。

天中殺のトドメをさされたがごとく、28才の私はしんどい恋愛に足をつっこんでしまった。大人なのだから自己責任だということはわかっているが、割り切ろうと思っても次々沸き上がる心の痛い想像。とにかく逃げたかった。与那国でもパリにでも行ってしまおう。あり金を全部おろして、何もかもかなぐり捨てて。

よく避難所にする神戸の姉の部屋にかけこんだ。そこから私は関西空港/石垣島の往復チケットと、与那国行きのプロペラ機のチケットを予約した。2日後、私は関西空港に向かっていた。 

3月22日(火)与那国上陸

石垣空港からタクシーに乗って港付近の繁華街へ。「BLUE CAFE」の系列「沖縄すば ボサノバ」で八重山そばの昼食を取ったあと、バスでふたたび空港へ。

与那国行きの小さなRACの飛行機は、がくん、がくんと高度を下げながら曇り空の与那国空港に着陸した。
恐ろしいもので関西空港を朝出て、夕方には日本最西端の島についてしまったのだ。「土曜ソリトンSIDE B」で見て以来、憧れてやまなかった与那国。外国のように思えたその地は、想像よりも近かった。

そう、すべてのはじまりは「土曜ソリトン SIDE B」だったのだ。

10年ほど前、高野寛、緒川たまきの2人が司会をしていたNHK教育の番組。毎回テーマを決めて、ゲストが登場した。ゲストは主にミュージシャンだったが、この2人が司会なのだから、誰が出ても番組の雰囲気はどこか静謐でゆったりとして、くくりは広く懐は深かった。

その中で、日本最西端の与那国島の西と東からそれぞれ高野、緒川の2名が島の中央を目指し、たどりついた先には細野晴臣がおり、海をバックにぽろんとギターをひいておわり、という、日本のテレビ史上もっともユルい(と思う)企画があった。

日本でいちばん西のカフェ「ユキさんち」では高野寛がギターをかきならし、海辺では緒川たまきが長い足をひょいとあげて与那国馬にまたがっていた。この映像を見た高校3年生の私は、与那国に恋をしたのだ。

**
さて、八重山旅行において私はひとつ決定的な弱点を持っていた。「車の免許がない」。自転車や徒歩が適した竹富や波照間はいいとして、レンタカー以外でほとんどまわりようのない与那国と石垣島では、身動きがとれないことを承知で来てるんだからアホである。「SIDE B」では徒歩という手段がとられていたが、どうやら与那国は想像以上に広そうだった。

なので、宿はぜったい行きたい「ユキさんち」の近く「はいどなん」。空港から送迎してくれる。

宿に荷物を置いて、とりあえず日本最西端の碑へと向かう。
曇り空の夕方、女がひとり、まったく誰もいない日本の西のすみっこをてくてく歩く。舗装された立派な道路ではあるが、車一台通らず、両脇にはアダンとアロエが生い茂り、左手の断崖絶壁からは群青色の海のうねりが聞こえる。その時私は猛烈に「いったい私は何をやっているんだろう」という思いにとらわれた。大金はたいて私はいったい私は。もうこんなバカなことはこれっきりにして、とっとと東京に戻って新しい仕事を探して真面目に働こうと思った。まわりに誰もいないのでセルフシャッター(もしくは腕のばし)で写真を撮る。

**mixi日記より**

とうとうきてしまった西の最果て!

ソリトンsideBで見たイメージより険しい、、、。人がいない寂しいよう、もうこんなあほな旅これっきりにして、東京に帰ったら真人間になって働くよう。と思った矢先、漁師のおっちゃんにナンパされ、路上で泡盛と刺身を振る舞われたのであった。

しかし言葉が半分以上聞き取れなかったよ。

 


漁師たちが食べさせてくれたのは、カツオと長命草というものとトウガラシを合えたものと、とれたてのイカの刺身。お酒のパックをまな板代わりにして、血のついた包丁でゴーカイにさばいてくれた。
生まれも育ちも与那国だという彼らの言葉は本当に半分以上わからなかった。
「どうして与那国にはこんなに犬がたくさんいるんですか」
「人間が少ねえからよう。犬くらいいたほうがいいじゃねえか」

こうして私はひとり旅の出会い劇の中にはやくも足をつっこんでしまったのだ。
日本で一番最後に沈む夕日を見ようと思っていたが、こうしてつかまっているうちに、気がつけば雲のむこうに沈んでいた。

つづきをよむ

 

▲一番上へ
▲specialメニューへ戻る