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カフェブームがバブル崩壊寸前の今、自分はどうしてこんなにカフェや喫茶店が好きなのか、そろそろ文にしてまとめようと思います。とはいえ、ある一定の年齢以上の人は、喫茶店へ行く習慣をみなさんお持ちなのではないでしょうか。仕事で出かけたついでにひと息、買い物の途中に計画練り直しのためにひと息、人と会ってちょっとつかれちゃったあとにひと息。こういった習慣は、車ではなく、徒歩や電車で生活する都会人に強い傾向です。
自分にとってのカフェ、喫茶店の利用法というものも、もともとはこれらとまったくかわりません。都心のよくある喫茶店には、一見人生につかれたようなサラリーマンが新聞片手によく居眠りをしていますが、これがカフェの正しい利用法だ!
と思ったりもします。
となると、大学生が構内のベンチで缶コーヒー片手に読書するのもおしゃべりするのも、カフェ。私は大学の時ほとんどカフェに行きませんでしたが、それは、文学部生という生活自体が優雅だったのと、大学そのものがどこでもカフェだったからかもしれません。

■カフェ黎明期 97年
こういった「カフェ考」にいちはやく気がついたのが、1997年9月刊の「スタジオボイス」誌「Salon
癒しと創造の新空間」という特集でした。私はこの本をドキドキしながら購入して、大事に大事に何度も読みました。大学3年の夏です。
自分は、喫茶店のような、おしゃれに言えばカフェというような、まったく一人になるのでもなく、人と交流するのでもなく、でも何かと出会い、何かに感化されたり魅了されたりする空間に、恥ずかしいくらい胸騒ぎを覚えている…そんな自分の、まだどんな言葉としても語られていない胸騒ぎを、はじめて具現化したのが、スタジオボイスの「サロン」特集でした。
ここには、高円寺の「マニュエラ・カフェ」や、渋谷の映画館に併設された「bis! cafe」、たまり場、さりげない交流の場として夜中の青山ブックセンター、渋谷のセンター街までが「サロン」として位置付けられ、掲載されていました。なんという先見性!
などと思っていたのはおそらく私だけで、このころ、すでに今のカフェブームを生むきっかけとなったいくつかのカフェがうぶ声を上げていました。鎌倉の「cafe
vivement dimanche」、渋谷の「cafe
Apres-midi」、原宿の「Room Room」、そして京都でも。
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